虎もものブログが出来たかも!?

ブログトップ

あれから11年。。。

阪神大震災。。。。

その前の日に都道府県対抗女子駅伝があった。。。。

父が応援に来ていて

泊まって帰ったら????なんて言ってた。。。

でも父は17日にどうしても行かなきゃならない用事があって

岡山へ帰っていった。。。。

そして次の日1/17朝6時前。。。。

寝起きの悪い私でも目が覚めた。。。。

京都は震度5だった。。。。

幸いなんとも無くテレビも映る。。。

電車も動いてた。。。。

でも。。。

神戸はニュースのたびに増える死者の数。。。。

戦争でも起こったの???

って言うくらいのビルは倒れ

高速道路は落ち。。。

とてもとても想像を絶した世界。。。。。

11年経った今。。。。

大復興を遂げた神戸。。。


あの日亡くなってしまった尊い命。

心からご冥福をお祈りします。



阪神大震災11年:語り始める、語り続ける 命の大切さと、生きた証しを
 阪神大震災の被災地は17日、あの時から11年の朝を迎えた。記憶の風化が言われるなか、これまでと変わらぬ鎮魂と祈りで満ちていた。兵庫県芦屋市の小学校では、幼い長男を亡くした母親が、追悼式でため込んだ思いを初めて語り、子ども2人を失った父親は、語り続ける決意を新たにした。決して忘れない--。被災地は、震災を次の世代に伝える新たな誓いをたてた。

 「亡くなられたすべての方と大志君、今を生きる子どもたちの未来のために祈りたい」

 震災で児童8人が犠牲になった芦屋市立精道小(黒田導紀校長、557人)の追悼式で、生きていれば6年生になる、1歳半の長男大志君を亡くした同市津知町の児童文学作家、上仲まさみさん(44)が、遺族代表の言葉を述べた。

 一家は神戸市東灘区の住宅で被災した。長女(14)や震災後に生まれた二男(9)の行事で精道小を訪れるたび、大志君の同級生たちを複雑な思いで見つめてきた。

 転機は一昨年。追悼式で長女が追悼文を読むことになり、上仲さんも初参加した。初めて子どもたちの成長を心からうれしいと思った。昨秋、6年生の授業で話してほしいと打診があった。悩んだが「大志君が望んでいる」と考え、12月に子どもたちと対面した。

 「生きていれば、生きていればと思いながら、みんなの姿を見てきました。だから私はみんなのことをよく知っています」。上仲さんは授業で、率直に伝えた。「元気に育ってくれてありがとう」

 教室には、大志君の服と靴を持参した。着丈90センチの黒いトレーナーと14センチの靴。足のサイズが27センチにもなる男の子がいて、合わせてみると、服も靴も、あんまり小さくて、笑いが起こった。「こんな服、着る人もいないのに、なんで取っておくんだろう。人が死ぬってそういうことだよ」

 子どもたちに伝えたいことは三つあった。命を粗末にしないこと。絶望しないこと。本当の自分に出会うこと。三つのことは、今月12日、同小であった震災を「語りつぐ会」で、6年生から5年生に引き継がれた。

 「これからもあなたたちの成長を陰ながら見つめ、応援しています」

 授業はそう締めくくった。「とても勇気のいる経験でしたが、今は感謝の気持ちでいっぱいです。震災の記憶が薄れていくのは仕方ないけれど、命の大切さを伝えていきたい」【長沢晴美】

 午前5時46分、56人が犠牲となった芦屋市津知町の津知公園。「絆(きずな)」と刻まれた碑に祈りをささげる人の輪の中に、同市浜芦屋町、会社員、米津勝之(かつし)さん(45)一家4人の姿があった。

 自宅アパートが全壊、長男漢之(くにゆき)君(当時7歳)、長女深理(みり)ちゃん(同5歳)の2児を失った。

 深理ちゃんあての手紙は途絶えることはない。震災当時通っていた市立精道幼稚園で親しかった高1の女子生徒は昨年の手紙で、高校受験や人間関係など多感な年ごろの悩みなどをやさしく語りかけるようにつづっていた。友を亡くした体験を大切に前向きに生きている姿を想像できた。

 ある少女は、深理ちゃんの誕生日の12月12日に毎年、幼稚園の碑にカードと花をささげる。

 米津さんはこれまで、漢之君が通っていた精道小で児童らに自分の体験を語ってきた。当時の記憶がほとんどない児童たちは、やさしさを学んでいく。同小で17日行われた追悼式にも米津さんの姿はあった。

 震災から8年(03年)の県追悼式典で「遺族代表のことば」を述べた米津さんは「年月がたてば記憶はあいまいになり、温度差は広がる。しかし、震災時の痛みや支えあい、人間のやさしさを風化で片づけてよいものか」と訴えた。

 今年の県式典から「遺族代表のことば」は消えた。10年の昨年から比べると、民間追悼行事も減少した。

 震災後に生まれた二女英(はんな)ちゃん(8)は、小1で亡くなった漢之君を超えて小2になった。二男凛(りん)君(3)は今年4月に、深理ちゃんが通っていた幼稚園に入園する。歳月の流れを実感し、風化の懸念は広がる。

 しかし、米津さんは「『人生は生きるに値する』ことを子どもたちが教えてくれた。伝え続けることが2人の生きた証し」と話した。【桜井由紀治】

==============

 ◇助け合いの心引き継ぐ/風化はあり得ない/メディアは「その後」見続けて--追悼会場で

 この朝、各地で開かれた慰霊式典などに訪れた10人の市民に「震災を風化させず、伝えていくために何をすべきか」を聞いた。

 ◆佐藤夕子さん(23)=神戸市中央区

 今も小さな揺れが怖く寝られない夜もあるが、思い出す恐怖から逃げず、語り合い「命の大切さ」を分かち合うべきだ。

 ◆鈴木迪子さん(62)=神戸市長田区

 おにぎり1個を分け合った助け合いの心を、世代を超えて引き継いでいく。それが犠牲者への弔いになると思う。

 ◆橋本伸司さん(33)=神戸市北区

 神戸で生まれ育った私としては、いつまでも関心を持ち続け、震災行事に積極的に参加することが大切だと思います。

 ◆青木三代子さん=神戸市垂水区

 震災を経験した若い世代が、国内外でボランティアに参加し、被災地の思いを発信していくことが大切です。

 ◆橋口利子さん(82)=神戸市兵庫区

 助産師をしていて赤ちゃんを亡くした。忘れることは決してない。生きている限り、風化させないよう守っていきたい。

 ◆古川賀子さん(58)=神戸市須磨区

 モニュメント、文章、映像など、記憶を形として残すこと。それをきっかけに、それぞれの思いを巡らせればいい。

 ◆石橋正裕君(14)=兵庫県西宮市

 毎年、この時期になったら、みんなで震災を思い出すこと。自分も大人になったら、子どもに伝えていきたいと思う。

 ◆康本邦三さん(61)=兵庫県芦屋市

 震災でつながった人の輪を追悼会などで確認している限り、風化はあり得ない。同じ街に住んでいるという一体感が必要。

 ◆浅田敏朗さん(51)=兵庫県西宮市

 地震があるたび、震災を思い出すだけでもいい。またマスメディアには被災地の「その後」を見続けてほしい。

 ◆松下友康さん(23)=神戸市須磨区

 年々行事は減るが、震災の記憶を語り継ぐために遺族から聞き取り調査をしている。それを多くの人に見てもらいたい。

毎日新聞 2006年1月17日 東京夕刊


阪神大震災11年:1・17のつどい 遺族代表あいさつ
 ◇みんながくれた元気、僕も分けたい--両親・兄亡くした、湯口礼さん(13)

 僕は、阪神淡路大震災で、お父さんとお母さんとお兄ちゃんを亡くしました。僕は、震災の時2才だったので、みんなのことを覚えていないけど、後で話を聞いたりビデオを見たりして、お父さんとかがどんな人か少しだけ分かったと思う。だけどビデオとか話だけで勝手に想像して、僕が思っているお父さんが、本当のお父さんじゃないかもしれない。でも、小さい時からおじいちゃんとおばあちゃんに育てられて来たのであまりそう言うことを気にしないで生きています。

 僕は小学校2年生ぐらいまでは、暗い所がこわくていつも、トイレとかおじいちゃんやおばあちゃんについて来てもらっていました。だけど3年生になった時には友達がたくさんできて、暗い所がぜんぜんこわくなくなって来てもう今では震災の話とか友達にふつうにできるようになりました。僕は震災の事をいつまでもひきずっているとその人のふんいきが暗くなって、いつまでも友達ができないと思うから、悲しくてもいつも元気でいることが一番いいと思うし、震災で亡くなった人達もみんながいつも元気だと、たぶんうれしい気持ちになると思うから、今まで震災のことをひきずって暗くなっている人は、これからは元気で生活してほしいと思います。

 僕は暗くなったことはないけど、それはみんながいてくれて、みんなで一緒に笑ったりしてみんなの元気をもらっていたからだと思います。

 最後に、僕もみんなに元気をわけてあげたいと思います。

 いままでありがとうございました。これからもよろしくおねがいします。平成18年1月17日

湯口礼

==============

 ◇父の腕の中から8時間後に救出

 神戸市中央区の東遊園地で行われた「阪神淡路大震災1・17のつどい」で遺族代表として言葉を述べた市立上野中1年、湯口礼(あきら)さん(13)=同市灘区=は、父節生さん(当時26歳)、母典子さん(同26歳)、兄怜(さとる)君(同6歳)を兵庫県芦屋市のアパートで亡くした。礼君は節生さんの腕の中から、約8時間後に救出された。

 以来、海産物店を経営する祖父克己さん(72)、祖母幸子さん(73)に育てられた。今は身長160センチほどで克己さんも追い越すまでに成長。小学4年から野球を続けている。震災について書くのは初めてだったが、遺族代表の言葉は「書き始めたら意外とすらすら書けた」と約20分で原稿用紙2枚を書き上げた。

 昨年の敬老の日に置物を祖父母にプレゼントした。「素直な思いやりのある子に成長してくれた。誇りに思う」と克己さんは話した。【小川昌宏】

毎日新聞 2006年1月17日 東京夕刊
[PR]
by tamachan-1018 | 2006-01-17 22:55